ピティナ音楽研究所

ピティナ音楽研究所 今年度の展望と昨年度の活動報告

ピティナ音楽研究所は2022年に設立され、今年で3年目を迎えます。所属研究員はこの2年間、学会発表や論文投稿、Web記事の執筆やセミナー・講演会の開催、楽譜の解説執筆など、それぞれ研究を進め、またその成果を発表してきました。去る3月24日(日)に2023年度の研究成果報告会を行いましたので、その様子をレポートします。
 また、この度2名の研究員が退任し、新たに2名の協力研究員が着任しました。音楽学研究者でリコーダー演奏家としても活動する菅沼起一氏と、音楽教育を主な研究領域とする松川亜矢氏です。ピティナの各種事業にも近接する研究目標を掲げており、適宜成果を皆様へ共有してまいります。
 さらに、新たに「専門研究員(非常勤)」を設定しました。このカテゴリの研究員は無給ですが研究の補助を行うとともに競争的研究資金(科研費)の応募を行います。第一号の専門研究員にはピティナ専務理事の福田成康氏が着任しました。

新任研究員
菅沼起一(協力研究員)
私はこれまで、ピアノが生まれる数百年前の音楽演奏における即興演奏、特に即興的に行われる装飾技法の研究を進めてきました。この度ご縁があり、行ってきた研究内容・手法をさらに後の時代に広げて応用し、ピアノ音楽という現代において最も活発な音楽分野の一つに携わることができること、非常に嬉しく思います。新しいことにチャレンジし、自分の研究の幅を広げることができる良い機会を頂けたことに感謝し、真摯に研究に取り組んで参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
松川亜矢(協力研究員)
このたび、協力研究員を拝命しました松川亜矢です。私自身、声楽家として演奏活動をしたり研究活動をしたりするなかで、音楽を専門的に学ぶ人々のキャリアの多様さに惹かれるとともに、その学びのあり方が日本の音楽文化に規定されながら、また音楽文化を形づくっていくという構造を強く認識しました。ピティナ音楽研究所では、音楽を専門的に学ぶ人々の多くが就学する音楽大学での学びのあり方を対象として、その学びのあり方がその後のキャリアでどのような意味をもつか、日本の音楽文化においてどのような機能をもつかを研究します。音楽を学ぶことが社会とどのように関わるのか、その一端を明らかにし、日本の音楽文化の発展に貢献したいと考えております。
福田成康(専門研究員)
この2024年3月に大学院を修了しました。ピティナ専務理事としての業務に加えて、ピティナ音楽研究所の研究員としても関わります。一言で研究といっても規模も成り立ちも様々です。研究員一人だけで行うものから大規模なプロジェクトもあります。経営とシステムデザイン・マネジメントを専門としてきましたので、特に複数人のプロジェクトとして行う研究のマネジメントにおいて貢献し、ピアノ教育や音楽教育の社会的インパクトを高める新たな知見を得て内外に報告していきたいと考えています。皆様との協力を通じて、より豊かな音楽文化を構築して参ります。
研究報告会レポート

2024年3月24日(日)開催した第2回研究報告会にて、4名の研究員が成果発表し、実地と配信あわせて13名の方々にお集まりいただきました。参加者の方々はもとより研究員どうしでも活発な質疑応答が行われ、各研究員の今後の研究の発展に向けても貴重な時間となりました。

上田泰史
ロマン主義時代のパリと芸樹家の生活空間:「スクワール・ドルレアン」(1830~1848)に関する調査報告
本発表では、1830年代から1840年代にかけて芸術家たちが多く住んだショセ=ダンタン地区の住宅地「スクワール・ドルレアン」の住人の社会的地位、およびこの団地を形成する棟番号を同定するために行った調査について、報告しました。この場所には、ショパン、アルカン、ヅィメルマン、カルクブレンナーなどの音楽家や、ジョルジュ・サンド、アレクサンドル・デュマといった作家、デュビュフ親子やプロスペール・ラフェといった画家たちが住んでいました。この報告では、『パリの主要住人25000名の住所』と題する年鑑(1833年巻~1848年巻)から、この住所に住んだ人々を一覧化・分析し、芸術家・資産家の割合が多かったことを明らかにしました。この調査結果からは、資本家を優遇したルイ・フィリップ政権のもと、新興開発地区に多くのブルジョワが住み着いて財を成し、音楽家もまた、芸術を軸とした経済活動を担う一員であったことがよくわかります。
また、棟番号についても、年鑑住所から各棟の住人を割り出して10棟の所在を当時の地籍地図から同定しました。同時に、1~10という番号が棟番号とは別に存在したアパルトマンの番号でもあった、というジャン・ジュードの最近の主張(2022)を、今回の住所年鑑等の調査に照らして検証しました。その結果、ジャン・ジュードの主張は根拠が不十分であり、ショパンや隣人の彫像作家ダンタンの居住地は、従来の定説(9棟)から変わることがないとの結論を導きました
私を含め4名の研究員は、それぞれ独自のテーマで研究を行っていますが、報告会では互いの研究について積極的に意見を述べることができ、活発な議論ができました。私は引き続き研究所に留まり、研究および研究所の運営に尽力して参ります。4月で離れる高橋先生、石川先生、一年目の研究をしっかりと担ってくださり、有難うございました。
高橋舞
ブルグミュラーコンクール出場者のMIDIデータにおける速度変化の分析
今年度後半は、株式会社ヤマハミュージックジャパンとピティナ音楽研究所の共同研究として、ブルグミュラーコンクール出場者のMIDI データを取得し、そのデータをもとに分析を行いました。MIDI データが記録可能なさまざまなパラメータのなかから打鍵のタイミングに着目し、そこから出場者ごとの速度変化を計算することで、審査によって分けられたファイナル進出者と非進出者の演奏の速度変化のあり方を分析しました。本研究では、これまで音楽学分野における演奏研究においてほとんど用いられてこなかったMIDIデータを用いて、ピアノの演奏表現のどのようなことが分析し得るかを定量的に示しました。
MIDIデータを用いた分析は始めたばかりですが、来年度以降も継続し、ピアノ演奏様式の変遷について解明していきたいと考えております。この2年間、ピティナ音楽研究所に所属し、さまざまなご支援やご協力を得ながら研究を進めることができました。また研究成果報告会では、研究員同士の交流の場を設けていただき、分野を越えた議論は大変勉強になりました。
甲斐万里子
ピアニストの熟達化過程における留学経験の意味
今年度は、ピアニストの熟達化のスパンや独自性の形成メカニズムをレッスンとの関係から探ろうとする研究の一環で、留学経験の意味に焦点を絞って報告させていただきました。インタビューデータの分析結果から、「留学経験のあるピアニストの熟達過程」のモデルを作成しました。特に注目するべきカテゴリとして「課題解決の糸口となる出会い」を挙げました。とはいえ、留学経験者に特徴的な課題解決の促進が、留学しなければ実現しないというわけではないと考えます。むしろ、留学経験がない優れたピアニストは、日本において、そうした「出会い」に何らかの形で恵まれたと考える方が自然でしょう。今後は、データの分析を進めることで、そのメカニズムの一旦を解明したいと考えています。
今回の結果から翻って、ピアノレッスンへの示唆をいくつか挙げてみましたが、今後はその真偽や有効性の検討が必要です。フロアからご意見いただいたような、中高生のレッスンの観察や、子ども時代の音楽経験を支える指導者の工夫などを濃やかに見ていく研究も行なっていきたいです。
石川裕貴
ピアノ演奏指導における言語の在り方:哲学的検討を踏まえたエスノグラフィーの結果に着目して
内容
これまでに音楽と〈イメージ〉や〈感情〉に関するたくさんの研究が報告されており,いずれも、音楽構造を〈感情〉や〈イメージ〉として表現することによって、音楽の可視化による創造力と論理的思考の育成に有用だと言われてきました。しかし、〈イメージ〉や〈感情〉を強調するあまり、音楽そのものが軽視されてしまうという問題点について、昨年度は哲学的に検討してきました。今年度は、エスノグラフィーを基盤として、哲学的検討とピアノレッスンにおける実地の検証結果が一致するかどうかを調査したところ、やはり〈イメージ〉や〈感情〉よりも「強弱」や「リズム」といった音楽そのものに寄り添うレッスンを実施する方が、レッスン受講生はピアノの演奏上達に関する意識が高まったことが分かりました。
感想
修士課程にて、学校音楽教育における言語活動の在り方について、哲学的検討やエスノグラフィーによって調査を行ってきましたが、ピアノレッスンにおいても類似した問題があることが、この2年間を通して学ぶことができました。また、ピティナ音楽研究室に所属することで、音楽教育学のみならず、音楽学、音楽情報学、社会学など、学際的な学びに触れることができ、自分自身の成長につながったと感じています。研究員としては終止符を打ちますが、これまでの学びを今後の研究に生かし、ピアノ教育をより豊かなものにしていきたいです。
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