レポート:シンポジウム「演奏を読む:演奏解析ツールと演奏解析によるテンポ・ルバートの実践分析」
2024年12月8日、大阪大学中之島センター内の中之島スタジオにおいて、演奏解析をテーマとするシンポジウム注が開催されました。
音楽学という学問分野の中では比較的新しい研究アプローチである演奏解析。楽曲ではなく演奏にまつわるデータ(録音やピアノロール[自動ピアノ用の演奏の記録媒体]、MIDIデータなど)を客観的な分析の対象とするにあたり、理系分野の研究者との協力も進められてきました。
鷲野彰子氏(福岡県立大学)らの科研費研究プロジェクト「20世紀前半の歴史的演奏とピアノロールの演奏解析によるルバート奏法分析」の一環として行われたこのシンポジウムでは、音楽学者と音楽情報処理の専門家が一堂に会し、演奏解析をめぐる両分野での最先端の研究動向の報告と意見交換が行われました。以下ではその概要を簡単にご紹介します。
シンポジウムは全3部からなり、最初の2部が研究発表でした。
第1部の登壇者4名は演奏解析ツールの開発に携わる情報学系の研究者。トップバッターのYucong Jiang氏(リッチモンド大学、Zoomで参加)は自身の開発した最新の演奏解析用ソフトウェア「Performance Precision」を紹介され、このツールを使った方からのフィードバックがほしいと盛んに呼びかけておられました。

二人目の発表者、印藤海翔氏は九州工業大学の大学院生。鷲野氏らのプロジェクトのためにシステム開発に携わったメンバーを代表し、演奏の特徴を視覚的に把握しやすくするための新たなツールを紹介されました。既存の解析ツールに頼るだけでなく、協力者に解析ツールの開発を依頼するとは本格的ですね!

つづいて登壇されたのは、ピティナ音楽研究所の研究員も兼務されている九州大学の中村栄太氏。MIDIデータを介して音響データを楽譜データに自動変換(採譜)するシステムに関する報告で、開発の過程では昨今話題のディープラーニングも活用されているとのことでした。

(画面は2021年ショパン・コンクールの入賞者、反田恭平氏とブルース・リウ氏の演奏事例)
第1部最後の奥村健太氏(名古屋国際工科専門職大学)の発表は、演奏者の暗黙知によって付与される「表情」のありようを統計学的にモデル化するという画期的な手法を提案するもので、学習者の演奏実践の補助としての応用も期待できるとのことでした。

第2部はうってかわって主に歴史的な観点から演奏解析に取り組んで来られた音楽学者4名による発表です。
最初の登壇者は昨年度までピティナの協力研究員をつとめておられた高橋舞氏(日本学術振興会)で、バッハの《半音階的幻想曲とフーガ》を例に、演奏の構成要素に「流派」(師弟関係)がどの程度影響を与えているのか、という興味深い問題が取り上げられました。

つづく2件の発表で扱われたのは、ピアノ指導者や学習者にとっても大きな関心の対象であると思われる、ショパン演奏のテンポ・ルバートの問題です。
ショパン自身の演奏については同時代人の証言などの間接的な手掛かりしか得ることはできませんが、ショパンの伝統を引き継ぐとされる後世のピアニストの演奏であれば、20世紀初頭から記録が残っています。
今回、ピティナでもおなじみの上田泰史氏(京都大学)はサン=サーンス(1835-1921)とラウル・プーニョ(1852-1914)、プロジェクトの代表者である鷲野彰子氏はフランシス・プランテ(1839-1934)によるショパン演奏を、それぞれピアノロール資料に基づいて分析。左右の手のずれや、テンポのゆれ動きのパターンを、解析ツールを活用しながら探っておられました。

なお、会場では鷲野氏の私物のピアノロール(複製)を手に取って見せていただくこともできました!

最後の発表者は東京大学のヘルマン・ゴチェフスキ氏。分析の対象はマックス・レーガー(1873-1916)の自作自演で、楽譜に書かれた情報と実際の演奏との乖離という点から、曖昧なリズムを含むその演奏の時間構造を分析的に捉え直すものでした。

ディスカッションにあてられた第3部では、フロアを交え、専門分野を越えた白熱した議論が展開されました。

6時間という長丁場でしたが、ほどよい間隔で休憩がはさまれ、最後まで興味深く拝聴することができました。
5か年計画で行われる本研究プロジェクトでは、この先も成果発表の場として演奏会やシンポジウムなどのイベントが予定されているとのこと。今後の展開も目が離せません。
- ※研究所スタッフ注:鷲野彰子氏より、シンポジウム当日のプログラムをご提供いただきました。こちらよりご覧いただけます。
京都府出身。東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。同大学大学院音楽研究科音楽学研究分野博士後期課程修了。博士(音楽学)。学内にて大学院アカンサス音楽賞受賞。日本学術振興会特別研究員PDを経て、東京大学 大学院総合文化研究科 日本学術振興会特別研究員RPD、国立音楽大学、桐朋学園大学非常勤講師。専門分野は近代フランス音楽史、演奏文化史。日本音楽学会、国際音楽学会会員