ピティナ音楽研究所

チェルニーに学ぶ!第7回『即興の例とエチュードの役割』

チェルニーに学ぶ!古典・ロマン派時代のピアノ即興演奏
~創造の楽しさを日々の練習に~
第7回:チェルニーと即興演奏〜『ピアノで弾くファンタジーへの体系的手引き』を中心に④

みなさま。こんにちは。

第六回までは、チェルニーのピアノ教則本『ピアノで弾くファンタジーへの体系的手引き Systematische Anleitung zum Fantasieren auf dem Pianoforte Op.200』(n.d. [1829])の、主に文章で書かれた部分の内容を見て、どのようなことが書かれているか、それが歴史的に見てどのようなコンテクストを含んでいるのか、読み解いてゆきました。第七回は、そこから軸足を「楽譜」に移してゆきたいと思います。前回は、第一章「前奏曲について」で、基本となる和声進行の定型から、様々なヴァリエーションが生み出されてゆくところまでを見ました。今回は、その様々なヴァリエーションの譜例を見て、それらがどのように作られているのか、そこから現代の実践にどのようなヒントが得られるか、考えてゆきましょう。

第一章の中で、基本となる和声定型が登場する箇所をおさらいしましょう。

(4)

それぞれの和音は非常に多くのパッセージを生み出すことができるので、最も単純な転調ですら旋律豊かで華麗な無数の前奏曲を紡ぎ出すことができる。例として、非常に一般的な和音進行の例を示そう:

和音進行の譜例

では、この和音進行から何が作られうるか、見てみよう:

そして、ここから上の譜例(Exempel 1)に対する5つの装飾例が紹介されてゆきます。前回のコラムでは、こうしたある基本型からそのヴァリアントを芋づる式に引き出してゆくというメソッドが、チェルニーが生きた時代からはるか遡った中世の記憶術に由来するものであるというお話をさせていただきました。今回は、実際の譜例を見てゆき、楽曲分析を行なっていこうと思います。

1つ目の例(Exempel 2)

1つ目の例でまず目を引くのは、最後の主和音が3オクターヴにわたるアルペジオにフィギュレーションされている点でしょう。逆に、前半は基本形と同じ和声進行をしており、新たな追加された1音目の和音以外はバスの音の高さも進み方も基本形と同一です。異なる部分としては、1小節目の1拍目にCの音が追加されているほか、1つの和音が最大で10本指すべてを用いるような音数に増やされていること、右手の音域が拡大され大きなアーチ状の音型になっていることが挙げられます(こうして見ると、基本形の一番上の声部はほとんど動きがない単純な声部書法になっていることに気付くでしょう)。

1つ目は非常に単純なフィグレーションになっていますが、チェルニーとしてはこれも立派な前奏曲である、ということでしょう。これならかなり前奏曲へのハードルが低く感じられるのではないでしょうか。

 
譜例
 
2つ目の例(Exempel 3)

2つ目の例、16分音符で素早く駆け巡る右手のディミニューションが特徴です。もう一度おさらいですが、ディミニューションとは旋律をより小さな音符に分割する装飾技法です。ここでは、基本形の最上声部の進行(C-C-C-C-C-B-C)を3オクターブ超の音域のディミニューションに仕立て上げている、と捉えることが可能です(その証拠に、それぞれの和音が変わる部分では右手に基本形にあるC音 [譜例の赤丸部分] が度々登場し、オリジナルの声部の原型が見られます)。

譜例
譜例2

7小節にわたる右手のディミニューションは、どのような音型が用いられているでしょうか。チェルニーが活躍する少し前の時代、17世紀後半から18世紀前半までのドイツ語圏のいわゆる「フィグーレンレーレ(音型論)」について述べた教本群では、2音や4音からなる小さな音の形をディミニューションの最小単位とし、それらが鎖のように繋ぎ組み合わせることで一つの楽句(フレーズ)が形成されると述べられています。よって、例えばこの譜例でも4音や2音ずつに区切ってみると、長大なディミニューションが下記のような種類の音型にカテゴライズすることができます。

  • 山型の音型
  • 半音階
  • 半音幅の書かれたトリル
  • 6連符(のようなもの)
  • 3度から6度の跳躍+半音(刺繍音)

1. の山形の音型は、2つ目の例の冒頭のように山形の音型の後に再び同じ音(C-D-C-Bのあとでまた最初の音と同じC)に戻ってくることが特徴で、同音の繰り返しの間にディミニューションを入れる際の王道の音型の一つです。

4. の「6連符のようなもの」という名前は、楽譜に連符の記号がないからこのような呼称になっているのですが、この指示のない連符という存在もまだ歴史的なものでした。チェルニーから300年前遡った1600年前後のディミニューションの世界では、まだ連符という概念が楽譜に存在しない頃でした。しかし、この頃にもチェルニーの6連符のような6音のセットは登場していましたし、同時代の楽曲には同じ1拍の中に規定の尺の音数ではなくより多くの音をつめこむことで加速の、少ない音にすることで減速の効果を得るような楽曲がありました(下譜例)。もしかしたら、チェルニーの「6連符のようなもの」も、これらの例のようにソルフェージュ的にきっちり6連符を弾く、というよりはそれまでの音型と比べ相対的に速めに弾く、という演奏ニュアンスの方を大事にしている記譜なのかもしれません(左手の和音はずっと伸びているので、右手の演奏スピードはフレキシブルに調整できるようになっています)。ルネサンスからバロックのディミニューションをたくさん見てきた筆者から見ると、チェルニーはまさにこのディミニューションの伝統の延長線上にいる、もっとありていに言えば「チェルニー、昔のディミニューションのこと知っていた?」と思わずにはいられません。事実、装飾法としてのディミニューションはチェルニーの世代の人間が参照していたであろう18世紀後半の音楽事典などにも記述が登場するのであながち間違いとも言えないでしょう。

 
譜例

(1)ジローラモ・ダッラ・カーザ『ディミニューションの真の方法』(ヴェネツィア、1584年)より、トレプリカーテ Treplicateと呼ばれる4分音符に対し6音分の時価を持つ音符を用いたディミニューション。下の現代譜は便宜上6連符としている。

(2)ダリオ・カステッロ〈ソナタ第8番〉(ヴェネツィア、1621年)より、「字足らず」な32分音符の例(青枠部分。本来なら16個分の尺のところに12個分しか入っていない)。

譜例:ジローラモ・ダッラ・カーザ『ディミニューションの真の方法』、ダリオ・カステッロ〈ソナタ第8番〉

2つ目の例は、バスの和音進行にもぜひ注目したいです。この基本形の和音進行はCからFisまで下降してGのドミナントに入るという特徴がありますが、2つ目の装飾例ではそれを活かしたバス声部のラインが2度ずつ下降するように作られています。ここで重要なのが、上声のディミニューションと合わせて見ると美しい反進行を形成していることです。2つの声部がそれぞれ反対の方向に進む反進行は中世の時代より対位法における基本進行の一つとされたもので、美しい響きが得られる上に禁則になりにくい(=異なる方向を向き続けるため並行5度や並行8度などが生じない)ため、即興演奏では重宝されるものになっています。実際、現代でもディミニューションなど歴史的な即興演奏の授業では、対位法の禁則を避けるため「とりあえず他の声部とは逆方向に進むと良い」ということをヒントとして習います。

3つ目の例(Exempel 4)

3つ目の例は、2つ目の発展版と言えるでしょう。基本形にあった和声進行はさらに後ろの背景と化し、左手によるオクターヴを重ねた単音のC-A-F#-Gのみと、もはや和音とすら呼べない大きな単位でしか演奏されません。そして、そこに2つ目の例よりもさらに長大なディミニューションが埋め込まれています。よく見ると、小節すら無くなっているのにお気付きでしょうか? このような小節線をあえて用いない即興的な楽曲は、小節線が標準装備として搭載されるようになった17世紀以降のいわゆるバロック音楽のレパートリーでも見かけます。有名なものはフランス・バロックの「プレリュード・ノン・ムジュレ」と呼ばれる小節線を用いない非拍節的な前奏曲ですが、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハのファンタジアなどでもそうした例が見られます。もはや1拍にこれだけの音をこれだけの尺続ける、などといった小節と拍による音の計量を放棄した、音の連なりによるドライブ感に全振りしたかのような楽曲、非常に格好良いですね。この3つ目の例の曲頭にある「Presto brillante」のbrillante(華々しく)という言葉が、そのヴィルトゥオーゾ性をよく表しているでしょう。

譜例:C. P. E. バッハ〈ファンタジア ヘ長調 H. 279〉1785年の初版(冒頭部分)
譜例:C. P. E. バッハ〈ファンタジア ヘ長調 H. 279〉1785年の初版(冒頭部分)
画像出典:https://iiif.lib.harvard.edu/manifests/view/drs:16468773$37i(最終閲覧:2025年2月4日)

ディミニューションに話を進めましょう。まず、2つ目より広い音域を用い、ヘ音記号の音域から始めているのが目新しいです。2つ目と同じく、やはり同じ音に戻って来る山形の音型からスタートして、4オクターブとひろい音域のスケール〜2度下行音型が2つ〜落ちていくスケールと続き、和音が変わるとアルペジオでまた4オクターヴ行って帰る〜和音がドッペルドミナントになってもまたアルペジオで4オクターブを往復する、と音型が組み合わされています。ここで一旦ディミニューションは止まり、もう一度ドッペルドミナントの和音とドミナントの和音がスフォルツァンドで鳴らされ、そこから4オクターブにわたる3度並行による半音階スケールが、最後のドミナント—トニックの終止型を導きます。

 
譜例
譜例4

お気付きの方がいらっしゃるかもしれませんが、ここで登場する音型たちは、同じくチェルニーのエチュードなどで沢山練習するものばかりです。ここに、エチュードのもう一つの目的があるように思えてなりません。これらの音型を、エチュードを通して体に染み込ませてしまえば(そして、チェルニーのエチュードを沢山練習してそれらが体に染み込んでいるであろう現代のピアノ学習者は)それらを使ってこのような即興演奏も実は可能である、という事なのです!

残り二つの例は、簡単な紹介にとどめておきましょう。4つ目の例は、基本形のコードを変形させ、半音階の動きでぐにゃぐにゃした響きを追求したおしゃれなもの。「カプリッチオーゾ」と題された5つ目の例は、和音が一音一音バラバラにされ鍵盤を飛び回るように弾いていくのがカプリッチョ的であると言えるでしょう。しかし、一見無秩序な動きのように見えても、バス声部のラインが2つ目の例のように綺麗な順次進行になっているのは見逃せません。そうした固い土台は、即興の際のガイドになるからです(逆に言えば、そうした土台で和声の流れをしっかりと作っておかなければ、即興の際に自分が今どの和音の上にいるかが分からなくなってしまいます)。

  
譜例
譜例5
まとめ

ここまでの分析を、下の二点に要約しましょう。

  1. 1. 用いられているディミニューションの音型は、いくつかの種類にカテゴライズが可能です。そしてそれらは、エチュードなど基礎的な演奏の訓練の段階で身体化するものであることが重要です(エチュードとの関連性)。エチュードは、単にピアノの演奏技術だけではなく即興にも有効なものであり、エチュードをしっかり練習して、あとは基本的なノウハウやルールさえ分かれば即興演奏ができるのです。
  2. 2. それには、和音(とその背景にある対位法的な声部書法)が演奏中も頭の中でずっとキープされていることが前提となります。チェルニーの譜面からは、そうした即興の土台となるものが難しい即興演奏をしている最中の演奏者本人にも分かるような工夫がされていました。

今回のエッセイはここまでです。次回は、さらに第一章を読み進めて行きましょう!

youtube
X
音楽研究所へのご支援