チェルニーに学ぶ!古典・ロマン派時代のピアノ即興演奏 第2回
~創造の楽しさを日々の練習に~
第一回では西洋音楽における即興演奏について簡単にご紹介しました。第二回と第三回では、そこから一歩踏み込んで、鍵盤楽器による即興演奏の歴史的な流れ、特に即興演奏が音楽ジャンルとして形になったもの、「ファンタジア」について見てゆきます。ファンタジアという言葉は、鍵盤楽器による即興演奏の歴史や実践を考える上で最も重要なものになり、今後のコラムでも用いてゆくので、今回はまずジャンルの定義や言葉の語源、歴史などを取り上げます。ピアノが生まれるよりずっと前、私が専門としている16世紀を舞台とするお話が多く、ピアノを演奏される方にはやや縁遠い話と思われるかもしれません。しかし、16世紀は(記録が残る限りでは)日本に西洋の音楽が最初にもたらされ、日本人と西洋音楽との「ファーストコンタクト」が起こった時代でもあります。これからお話してゆくファンタジアも、西洋音楽を学んだ当時の日本人たちが演奏していたものでもあり、我々と浅からぬ接点があるのです。
ファンタジア、という言葉を聞いて、これからお話してゆくような即興的な要素の強い音楽ジャンルを連想する人はどれほどいるでしょうか? 私自身、ファンタジアという言葉を聞いて真っ先に連想するのは、音楽ジャンルではなく、同名のアニメーション映画だったりします。
クラシック音楽好きの方にはお馴染み(?)、ウォルト・ディズニー製作の音楽アニメーション映画『ファンタジア』(1940)は、J. S. バッハ〈トッカータとフーガ ニ短調〉やベートーヴェン〈交響曲第六番〉、ムソルグスキー〈禿山の一夜〉など8曲のクラシック音楽の演奏をバックに、様々なストーリーがほぼ台詞なしで展開されてゆきます。当時、ウォルト・ディズニーはミッキーマウスを主人公とする複数の長編・短編映画を製作する一方で、子供向けの娯楽作品というアニメーションのイメージから脱却する芸術性の高い長編作品を作ろうと考え、その流れで1937年に『白雪姫』が、そして1940年に『ファンタジア』が製作されました。映画の冒頭に流れるバッハの〈トッカータとフーガ ニ短調〉の間、映像はずっとストーリー展開を持たない抽象的な図像が動くアート・アニメーションのような仕上がりになっているのも、芸術性の高い作品を目指した製作態度のあらわれ、と言えるでしょう。
そうした態度は、タイトルの「ファンタジア」というタイトルにも見て取れることができます。このタイトルは、音楽の演奏・編曲を担当した指揮者レオポルド・ストコフスキーが付けたとされています。音楽におけるファンタジアとは、日本語では「幻想曲」と訳される用語であり、特定の音楽ジャンルを指すものとして説明されています。『ニューグローヴ世界音楽大事典 第二版』より「ファンタジア」の項目の冒頭部分を引用しましょう。
(ファンタジアとは)、ルネサンス期に器楽曲に対し用いられた言葉であり、その形式や着想は「それを生み出す作り手のファンタジーと技術のみから」生まれるものである(ルイス・デ・ミラン、1535〜6年)。16世紀から19世紀にかけて、ファンタジアの形式的・様式的特徴は自由で即興的なものから、厳格な対位法的なものでかつ(程度の差はあれど)いくつかのセクションを持つものまでさまざまであり、何をもってファンタジアとするかは主観的な傾向があった(訳は執筆者による)。
ポイントは、ファンタジアというジャンルは16世紀に生まれた、形式は即興的で自由なものから対位法的で厳格なものまで幅広い、ということです。 さらにファンタジア、という言葉を遡ると「考え、幻想、想像力」などを意味するラテン語のファンタジア phantasia (fantasia)、そして「想像力、外見、イメージ、認識」などを意味するギリシャ語の φαντασίαという言葉に辿り着きます。アリストテレスは『霊魂論』の中で、感覚的知覚と思惟(深い思考)の中間に位置する認識能力を「われわれの内にイメージが生じるもの」として想像力(ファンタジア)を定義しています。こうしたファンタジアという言葉を用いた音楽ジャンルは『ニューグローヴ世界音楽大事典』の定義通り幅広い音楽的特徴を持つ音楽を包括していますが、その根本は語源と同じく「奏者のうちから溢れ出る音楽」というイメージがあったことは間違いないでしょう。ディズニーの「ファンタジア」が「音楽から想像力を膨らませたイメージの奔流」であることを考えると、このタイトルはこれ以上ないまでにふさわしいものであることがお分かりいただけるでしょう。
『ニューグローヴ世界音楽大事典』によると、ファンタジアという言葉が音楽ジャンルに用いられるようになったのは、16世紀のことでした。16世紀は、器楽曲が本格的に声楽曲から独立したジャンルとしてその歩みを進めていった時代でした。それまでの器楽曲は、主に即興で演奏されることがメインであり、声楽曲と比べると楽譜に残りにくいジャンルでした。中世の写本に残る器楽曲は、それらが運良く記録された圧倒的少数派の例として現代は理解されています。
しかし、16世紀に音楽を記録する媒体に革命的な変化が起きます。それは、楽譜の印刷出版の開始です。楽譜が現代のように数多く出版されるようになり、より多くの人々が音楽にアクセスできるようになると、主に裕福な音楽愛好家や貴族のパトロンの間で鍵盤楽器やリュートによる器楽演奏と楽曲の需要がさらに高まります。
こうした需要の高まりを受け、テクスト(歌詞)に依拠しない、「器楽独自」の形式や原理をもって作曲される「ジャンル」が誕生します。よって、16世紀にはファンタジアを含め、トッカータやリチェルカーレ、カンツォーナなど、様々な器楽曲のジャンルが誕生し、その中にはのちに「器楽のみが言葉では表せられない世界を体現できる」とまで言われ声楽曲との価値・序列の「転換」を引き起こしたソナタもありました。西洋音楽史において、16世紀は器楽の本格的な発展の始まりの時代だったのです。
16世紀のファンタジアは、主に記譜法(どのような楽譜に書かれたか?)と楽器編成によっていくつかのカテゴリに分類されます。
- リュートや鍵盤用のタブラチュア(奏法譜:通常の五線譜とは異なり、フレットや鍵盤、管楽器の運指など楽器の押さえるべき場所を記した楽譜)で書かれたもの
- パート・ブックで書かれたもの(1580年代以降)
- 鍵盤スコア(大譜表)で書かれたもの(1590年代以降)
パート・ブック、とは、ソプラノ、アルト、テノール、バスなどのそれぞれのパートをスコアではなくパート譜で出版した数冊セットの楽譜を指します。ファンタジアに限らず、リチェルカーレなど、この形態で出版された器楽曲も多く、それらは基本的にアンサンブルで演奏されたほか、なんと、鍵盤楽器での演奏も想定されていました。1540年にヴェネツィアで出版された『新音楽 Musica nova』というリチェルカーレの曲集には、「オルガンと一緒に歌ったり楽器で演奏したり accommodata per cantar et sonar sopra organi」と書かれています。当時のオルガニストたちは、こうしたパート・ブックを並べ、スコア・リーディングならぬ複数のパート譜を見て4声などの曲を演奏することが求められていたのです(!)。16世紀の鍵盤楽器の教則本を見ると、教会のオルガニストなど鍵盤楽器の奏者にはこの能力が求められていたことが分かるほか、当時の教会オルガニストや楽長(教会の音楽演奏を統括する指揮者のような存在)の採用試験ではパート・ブックの初見演奏が行われていた記録も残されています。
第三回へと続く
(16世紀の鍵盤奏者たちに求められていた演奏能力などについては執筆者が翻訳し昨年出版されたアン・スミス『理論家に学ぶ 16世紀の演奏法』で詳しく紹介されています。ご興味ある方は是非ご覧ください。)