ピティナ音楽研究所

チェルニーに学ぶ!第8回『半音階と異名同音と即興の心構え』

チェルニーに学ぶ!古典・ロマン派時代のピアノ即興演奏
~創造の楽しさを日々の練習に~
第8回:チェルニーと即興演奏〜『半音階と異名同音と即興の心構え』

みなさま。こんにちは。

このコラムが公開されている頃はもう春らしくなっているのでしょうか。極寒の中、春を待ち望みながらこの文章を書いております。

さて、今回もチェルニーのピアノ教則本『ピアノで弾くファンタジーへの体系的手引き Systematische Anleitung zum Fantasieren auf dem Pianoforte Op.200』(n.d. [1829])の続きを読んでゆきたいと思います。第8回は第一章の後半部分です。

執筆者による粗訳
第一章:前奏曲について(演奏される楽曲※注釈1が始まる前の前奏曲と短いファンタジアについて)
(4)の続き

短調の例もいくつか示そう:

もちろん、これらの例はあらゆる調へと移調したり、パッセージを他のより適した部分へと交換したりできるし、咄嗟の思いつきとしての前奏曲の性格を残すためにあらゆるもの(訳註:音型などの諸要素を)を楽に、かつ何にも縛られることのないように演奏する方法を心得ておかなければならない。演奏家が練習して自身に叩き込んだものであると聴衆が悟ってしまうほど、前奏曲の効果を削ぐものはないからである。

(5)
残りの部分では、終止部と必ずしも同じ調で始まらないものある。さらには、より大胆にも、これらの前奏曲は遠隔調への転調にも適しており、和声の包括的な知識を持つ者は、とても興味を引くような試みをいとも容易く意のままにできるだろう。
菅沼のコメント:

ここからの譜例は少し多いので、一部のみ掲載とさせていただく代わりに、ここでの遠隔調の転調について、譜例の12番(一番最初のもの)から見てゆくことにします。

譜例の12番はたった2小節の短い譜例です。ハ長調の主和音から始まりますが、2つ目の和音でバス声部とソプラノ声部を半音ずらすことで、フラット系の和音に移ります。これは、見た目上では変ト長調(Ges-dur)の属七の和音という、ハ長調から見ると遠い調性になっています。ですが、次の小節の頭ではさらにそれを異名同音で読み替えることで、嬰ヘ短調(fis-moll)の主和音へと解決する構成になっています! そこからは、ニ長調のドミナント—トニックの組み合わせからハ長調のドミナント—トニックへと続きます。後半でも共通するのは、どこかの声部に半音階があり、それにより調がずれてゆく構成になっていることです。

チェルニーは、譜例20まで続くこのセクションの最後に「異名同音の和音は前奏曲のパターンの締め括りに多様性を与える上で非常に適している」と説明し、最後の譜例20では転調パターンを示しています。

(6)
意見を一つだけ述べてからこの章を締め括ろう。

演奏家は常日頃より、勉強あるいは演奏する曲に弾く前奏曲の即興に慣れるべきであり、また前奏曲のあらゆる可能性を考え尽くことに慣れておくべきである。あまりにも一つの前奏曲の型に慣れすぎたために、毎度同じものを聞かせてくる演奏家もいるのだ。
まさにこの理由により、それぞれの曲の性格に見合った前奏曲を付けることに留意すべきである。たとえば厳粛なソナタの前に陽気な前奏曲が来ているというのはあまりにも分別がなく、逆もまた然りである。

さらなる学習のために:特に近年出版され模範となりうる多くの前奏曲集の中でももっとも良いものは以下の通りである。

  • モシェレスの『50の前奏曲集 Op. 73』(ライプツィヒ、プロプスト)
  • 私(チェルニー)の『カデンツァと前奏曲集 Op. 61』(ヴィーン、アントン・ディアベッリ)より、特に1番、2番、3番、4番、9番、10番と14番
  • さらに、私の『あらゆる調で書かれた48のプレリュード集 Op. 161』(ライプツィヒ、プロプスト)
菅沼のコメント:

耳の痛い話で第一章が締め括られました。「毎度同じ前奏曲を聴かせてくる演奏家がいる」というチェルニーの記述は、こうした即興の実践が当時必ずしも万人が行なっていたものではない、ということを示しています。そうした当時の現状に鑑みても、前奏曲を含めた即興演奏の重要性を説いている訳ですね。

次に弾くべき曲の性格に合わせた前奏曲を弾くべき、という意見。私は、16世紀の音楽理論家ニコラ・ヴィチェンティーノが1555年の著書『現代の実践に適合された古代の音楽』の中で「哀歌などで派手な装飾を入れるのはいかがなものか(=TPOを弁えずに装飾を入れている人間がいた)」と苦言を呈しているのを思い出さずにはいられませんでした。いつの時代でも、自分の技巧を見せることを優先し、音楽そのものの性格や音楽が演奏される「場」を考慮しない演奏家はいたようです。

さて、最後に、チェルニーが章末で紹介していた曲集について、少しだけご紹介したいと思います。

まず、チェルニーの『カデンツァと前奏曲集 Op. 61』は14曲の前奏曲がありますが、上記の番号を特に挙げているのは、それらが即興のボキャブラリーを増やす上での良い例であるからだと考えられています。どういうことかというと、チェルニーが挙げた1番、2番、3番、4番、9番、10番と14番は譜例の中にさまざまな音型パターンが比較的分かりやすく登場し(つまり、前回のエッセイで行ったような分析がしやすいということですね)、そうしたパターンが体に入りやすい、ということがあるようです。ちなみに、前奏曲の7番と8番はモシェレスの変奏曲のための前奏曲として、11番はリースのピアノ協奏曲、12番はベートーヴェンのピアノ協奏曲への挿入部分として、13番は自身の変奏曲 Op. 14の前奏曲として作られているそうです。

モシェレス『50の前奏曲集 Op. 73』

チェルニーの『カデンツァと前奏曲集 Op. 61』

チェルニー『あらゆる調で書かれた48のプレリュード集 Op. 161』

これらはそのまま弾いても素敵ですし、自分で新たに前奏曲を作る上でも非常に参考になる音型・パターンの宝庫です! ぜひ活用ください。

第一章はこれで終わり、第二章「より長く、手の込んだ前奏曲について」に続きます。

  • 楽曲は原文では "piece" となっている。
執筆:菅沼起一

京都市出身。東京藝術大学音楽学部古楽科(リコーダー)を経て、同大学院修士課程(音楽学)を修了。大学院アカンサス音楽賞受賞。同大学院博士課程在籍中、日本学術振興会特別研究員(DC1)を務める。バーゼル・スコラ・カントルム(スイス)音楽理論科を経て、フライブルク音楽大学(ドイツ)との共同博士課程を最高点(Summa cum laude)で修了し博士号を取得。スコラ・カントルムで記譜法の授業を担当するほか、ルドルフ・ルッツ指揮J. S. バッハ財団による演奏会シリーズに参加するなど、リコーダー演奏と音楽学研究の二足の草鞋を履いた活動を行なっている。2019~20年度ローム・ミュージックファンデーション奨学生。2021年度日本学術振興会育志賞受賞。2024年度より京都大学にて博士研究員(日本学術振興会特別研究員PD)、洗足学園音楽大学非常勤講師、ピティナ音楽研究所協力研究員。

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