ピティナ音楽研究所

チェルニーに学ぶ!第10回『カデンツァについて』

チェルニーに学ぶ!古典・ロマン派時代のピアノ即興演奏
~創造の楽しさを日々の練習に~
チェルニーに学ぶ! 第10回『カデンツァについて』

みなさま。こんにちは。そろそろ早くも夏の暑さを感じる季節になってきたでしょうか。

さて、今回もチェルニーのピアノ教則本『ピアノで弾くファンタジーへの体系的手引き Systematische Anleitung zum Fantasieren auf dem Pianoforte Op.200』(n.d. [1829])の続きを読んでゆきたいと思います。第十回は第三章全体を見てゆきます。

執筆者による粗訳
第三章「カデンツァ、フェルマータ、そしてより手の込んだものについて」

引き延ばされた休止は、曲の途中で46の和音または7の和音の上で(特に後者では、別の主題またはテンポへの移行、および主要主題への移行として)非常に頻繁に現れるが、これは作曲家が実際に「カデンツァ・アド・リビトゥム」と楽譜上で指示しているか、少なくともフェルマータ(これは不必要というわけではない)を書いているか、または、実際に書かれたカデンツァが短すぎてうまく延長できそうな場合に生じるものである。

音楽におけるこうした装飾は、他の芸術と同様に優れた趣味の尺度となる。それは聞き手の注意を喚起し、次の作品へと導く。さらに、演奏家は必要に応じて(こうした装飾を通して)力強さや技巧だけではなく、洗練された感情表現も披露することができる。

菅沼のコメント:

装飾が、力強さや技巧など「華美な面」のみを表現できるものではない、と、ここでチェルニーが述べているのは素敵なことだと思います。装飾は技巧を誇示し、音楽をより華やかにできるイメージがどうしても先行しがちですが、TPOや歌詞と楽曲構造への理解を踏まえて装飾を入れることもまた「奏者の腕の見せ所」であることは、ほかの時代の装飾の手引き書からも読み取れることです。装飾を入れることで、喜ばしい曲がより喜ばしく、辛い曲がより辛く、曲の持っている情感をより強化することができるのが装飾である。チェルニーは多くの著者と同じく装飾をそのように理解していたのです。

(第三章 続き)

当然のことながら、演奏家の洗練された趣味と幅広い経験によってのみ、それらの適切な用法が決められる。深遠な内容と重厚な性格を持つ楽曲(たとえば、ベートーヴェンの〈ソナタ ニ短調 Op. 29(訳註:作品番号はチェルニーの誤記であり、正しくはOp. 31-2の「テンペスト」)である〉 )においては、いかなる新しい素材を足すことも非常に無謀である。一方で、きらびやかで繊細、あるいは感傷的な演奏を意図した作品、つまり変奏曲、ポプリ、声楽曲の編曲、あるいはそのほかの大衆趣味の産物においてはおそらく、どちらかといえば退屈で長引くパッセージを飾るためにまさにこのようなちょっとした即興演奏 Impromptusが適切であり、むしろ必要となる場合が多いだろう。

菅沼のコメント:

ここで、「重厚でシリアスな作品」とは逆に前奏曲などの即興演奏を入れる方が良い楽曲として「きらびやかで繊細、あるいは感傷的な演奏を意図した作品、つまり変奏曲、ポプリ、声楽曲の編曲、あるいはそのほかの大衆趣味の産物」を挙げていることは非常に興味深いです。さきほど、装飾はさまざまな感情表現を強化することができる、という話をしましたが、それでもなお即興演奏の持つ「エンターテインメント性」がここで重視されています。これは、現代において当時のさまざまなピアノ作品に即興演奏を入れる/入れないを判断する上での一つの基準となるでしょう。変奏曲や編曲作品だけではなく、大衆趣味の通俗的な曲のもつ退屈さや冗長さを奏者の装飾法の腕でカヴァーするように述べていることからは、当時のピアノ演奏シーンにおいてそうした実践が行われていたことを示しています。

これらに関連して、演奏家は以下のことに留意する必要がある:

  • カデンツァは概して、楽曲の内容と精神、特に前後の素材と完全に調和していなければならない。したがって、力強い演奏のあとには同様に輝かしいパッセージを導入するべきである。一方、穏やかな素材のあとにはそれに応じて軽やかで繊細な装飾を施すべきである。
  • カデンツァは、全体の連続性と勢いを妨げないように、長すぎたり、熱狂的すぎてはならない。
  • 演奏家は、他の調性や離れた和音に転調することはできず、基礎となる和声として常に近親調内(ほとんどの場合属七の和音)に留まらなければならない。
  • 続く主題へは、旋律的に適切かつ心地よく、適切な方法で入らなければならない。これはほとんどの場合、ディミヌエンド、そしてラレンタンドによりアダージョのテンポへと移行してゆく。続く主題が生き生きとダイナミックな性質を持つ場合は、時には生き生きとしたパッセージ、クレッシェンド、そしてアッチェレランドにより移行することもできる。

ここに、全ての調性で同様に演奏あるいは模倣すべき練習用の例をいくつか示そう(譜例24〜36)。

  • 譜例1(一部のみ)
  • これらの例にはすべて4/4拍子が描かれているが、あらゆる拍子が用いられるべきである。
  • さらなる勉学のために:この様式の最も多彩なモデルは、優れた作曲家による近年の素晴らしい作品のほとんどに見ることができる。

協奏曲の終結部のカデンツァについて
古い協奏曲(例えば、モーツァルトのすべての作品、ベートーヴェンのほとんどの作品など)は、最後のトゥッティの終盤に長い休止があり、その後、演奏家は壮大なカデンツァを即興で演奏しなければならない、これら協奏曲のカデンツァはその必然的な構造ゆえに、特に幻想曲特有の形式に近い。それらはかなり長く展開される可能性があり、演奏家はその中で考えられるあらゆる転調を試みることができる。しかし、協奏曲の中にある興味深い主題や最も輝かしいパッセージはすべてここで登場させなければならないが、演奏家の判断により、それらの調子を和らげたり強めたりすることはできる。これらのカデンツァは、ある程度(楽曲から)独立した幻想曲として見なされ、演奏家は協奏曲本編よりもこの部分で芸術性をはるかに発揮できるため、この様式を特に熱心に習得し、この手の協奏曲すべてにおいてそうしたカデンツァの即興演奏を学ぶことは演奏家にとって非常に有益である。以下はベートーヴェンの〈ピアノ協奏曲第一番 ハ長調 Op. 15〉(ヴィーン、モッロ出版)の第一楽章の演奏例であり、演奏家はこのカデンツァを比較材料にすることができる。

  • 譜例2(一部のみ)
  • このカデンツァを協奏曲と比較すると、協奏曲の主題とパッセージのほとんどがここでも再現されているが、その織り込み方は異なっていることが分かる。
  • さらなる勉学のために:上述のカデンツァ集 Op. 61の12番はベートーヴェンの〈ピアノ協奏曲第三番 ハ短調〉 のカデンツァであり、この章の補足資料としても役に立つ。

  • 譜例3(一部のみ)

さて、次の章で本格的な幻想曲風即興演奏について述べる前に、もう一度、学習者がこれまで扱ってきたあらゆる素材、調性、音型、転調において、可能な限りの完璧さを自らに課すことに慣れるべきであることを指摘しておこう。なぜなら、これらの技術は最も重要な準備練習(訳註:エチュードなど)と相まって、これまで示してきた部分的な応用とは別に、ある意味では即興演奏そのものの構成要素であり、これらがなければ、演奏家は多彩なアイデアや動機を互いに組み合わせる能力を決して獲得できないからである。

第三章はここで終わり、続く第四章からは「ファンタジー」について扱われます。

執筆:菅沼起一

京都市出身。東京藝術大学音楽学部古楽科(リコーダー)を経て、同大学院修士課程(音楽学)を修了。大学院アカンサス音楽賞受賞。同大学院博士課程在籍中、日本学術振興会特別研究員(DC1)を務める。バーゼル・スコラ・カントルム(スイス)音楽理論科を経て、フライブルク音楽大学(ドイツ)との共同博士課程を最高点(Summa cum laude)で修了し博士号を取得。スコラ・カントルムで記譜法の授業を担当するほか、ルドルフ・ルッツ指揮J. S. バッハ財団による演奏会シリーズに参加するなど、リコーダー演奏と音楽学研究の二足の草鞋を履いた活動を行なっている。2019~20年度ローム・ミュージックファンデーション奨学生。2021年度日本学術振興会育志賞受賞。2024年度より京都大学にて博士研究員(日本学術振興会特別研究員PD)、洗足学園音楽大学非常勤講師、ピティナ音楽研究所協力研究員。

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