ピティナ音楽研究所

チェルニーに学ぶ!古典・ロマン派時代のピアノ即興演奏 第3回

チェルニーに学ぶ!古典・ロマン派時代のピアノ即興演奏
~創造の楽しさを日々の練習に~
第3回「ファンタジア」小史③~16世紀に重点を起き、そこからチェルニーまで

第一回では、このコラムで取り上げてゆく西洋音楽における即興演奏について簡単にご紹介しました。第二回と第三回では、そこから一歩踏み込んで、鍵盤楽器による即興演奏の歴史的な流れ、特に即興演奏が音楽ジャンルとして形になったもの、「ファンタジア」について見てゆきます。ファンタジアという言葉は、鍵盤楽器による即興演奏の歴史や実践を考える上で最も重要なものになり、今後のコラムでも用いてゆくので、今回はまずジャンルの定義や言葉の語源、歴史などを取り上げます。ピアノが生まれるよりずっと前、私が専門としている16世紀を舞台とするお話が多く、現代のピアノだけを演奏される方にはやや縁遠い話と思われるかもしれません。しかし、16世紀は(記録が残る限りでは)日本に西洋の音楽が最初にもたらされ、日本人と西洋音楽との「ファーストコンタクト」が起こった時代でもあります。これからお話してゆくファンタジアも、西洋音楽を学んだ当時の日本人たちが演奏していたものでもあり、我々と浅からぬ接点があるのです。

初期のファンタジア②:凄まじき16世紀の即興演奏能力たち

第二回では、ファンタジアという言葉の由来、音楽ジャンルとしてのファンタジアとその歴史背景、特にジャンルが誕生した16世紀に焦点をあてご紹介してゆきました。このような時代背景のもと生まれたファンタジアというジャンルですが、当時の器楽曲を考える上で強調しておくべき重要なことは、やはり即興演奏です。1565年、スペインのバリャドリドで出版されたトマス・フライ・デ・サンクタ・マリーアの『ファンタシア奏法 Arte de tañer fantasia』という著作があります。これは、鍵盤楽器奏者のために書かれた演奏教則本、手引書ですが、タイトルにある通り「この一冊でファンタシアが上手にできるようになる」ものとなっています。では、ここでのファンタシアとは、一体何でしょうか?

当時の鍵盤奏者の主なお仕事は、教会のオルガニストでした。オルガニストたちは、教会で執り行われる日々の礼拝の中で演奏していましたが、一口に日々の礼拝と言っても、祝日の種類や重要度、あるいは礼拝の進行スピードなどで、演奏を始めるタイミングと終わるタイミングは千変万化しました。そうした予測できないタイミングに合わせるべく、オルガニストは音楽をどんどん即興していくことがスキルとして求められたのです。さらに、16世紀の音楽というと、いわゆるポリフォニー(多声音楽)全盛の時代です。当時、教会で演奏されていたポリフォニーは、右手は旋律、左手は和音で伴奏、のようなものではなく、複数の声部が互いにある種対等な関係で複雑に組み合わされたものでした。こうした対位法を駆使したポリフォニーを、当時のオルガニストたちは即興することを求められていました。サンクタ・マリーアが意図したのは、まさにこのポリフォニーをオルガンで即興することであり、『ファンタシア奏法』を読んでゆくと、第二回でご紹介した「パート・ブックを並べたポリフォニーの初見」など、現代の我々にとっては驚嘆するような高い読譜能力や即興能力が当時の音楽家に必要とされていたことが見て取れるのです。

図1:サンクタ・マリーア『ファンタシア奏法』第一巻より、第一旋法によるポリフォニーの譜例。この4声の譜例もスコアのように記譜されることはなく、パート・ブックと同じ要領でそれぞれのパートが分けて記譜されています。
出典:Images from the collections of the National Library of Spain.(http://bdh-rd.bne.es/viewer.vm?id=0000158382
対位法も即興だった ~ファンタジアにおける「対位法的なもの」と「即興的なもの」~

たしかに、16世紀の書かれたファンタジアを見ると、ほぼ声楽曲のような対位法的なもの、ポリフォニックなものを鍵盤や撥弦楽器で演奏しているものが多く見られます。冒頭にご紹介したファンタジアの定義では、「即興的なものから対位法的なものまで」という説明がありますが、サンクタ・マリーアの記述を見ていると、即興的なものと区別されている「対位法的なもの」ですらその実「即興的なもの」と言えるのではないでしょうか。後者を「即興的なもの」と区別するのは、対位法的=紙の上であれやこれやと思案しながら「作曲してゆくもの」という、近代以降制度化された音楽教育における対位法のイメージが現代の我々にとって強いからでしょう。しかし、16世紀の鍵盤奏者や歌手たちにとって、ポリフォニーというのはまだまだ「即興するもの」としての要素が強かったのです。このコラムは、そうした西洋音楽史の途中まで脈々と受け継がれてきた「海の下に沈んでいる氷山の部分」、楽譜に残されなかった即興演奏の伝統に目を向けてゆくものになります。

それでは、辞書的な意味での「即興的なもの」、対位法的なものと区別される即興的なものとは何でしょうか? 第二回の図3として掲載したアンドレア・ガブリエーリのファンタジアですが、こちらは複数の声部が複雑に絡み合う対位法的な書法ではなく、より細かな音符による技巧的なパッセージが目立ちます。おそらく、即興的なファンタジアと聞いてすぐにイメージするのは、どちらかというとこうした鍵盤やフレット上で指を素早く動かしてゆく書法なのではないでしょうか。

こうした「即興的な」ファンタジアを構成する要素として重要なのが、この技巧的な走句、パッセージです。これは、現代ではディミニューションと呼ばれる即興的な装飾技法の一種として考えることができます。ディミニューションとは本来、既存の旋律を演奏時により小さな音符を用いて「分割」して装飾する即興演奏技法のことを指し、16〜17世紀にはそのスキルを習得するための手引書が数多く出版されるようになります。ファンタジアやトッカータなど、当時の「即興的な」器楽曲ではこのディミニューションを数多く用いており、たとえば先ほどの「ガブリエーリの楽譜でも、以下の図2のように、ディミニューションの音型をより大きな音符を用いた対位法的なスキームに還元することができる箇所も少なくありません。」とする方が、文の通りが良いかと思いました。

図2:ガブリエーリ〈オルガンのためのファンタジア・アレグラ〉より、Ver. 1:ガブリエーリのオリジナル/Ver. 2:ディミニューションを対位法的な構造に還元したもの(譜例は執筆者が作成)。
結び:バロックのファンタジアからチェルニーへ

16世紀から17世紀へと移り変わる1600年前後は、いわゆるルネサンスからバロックへ音楽様式が推移する「転換期」とされています。この転換期には、音楽がより大きな音符を基本に用いていたポリフォニーから、どんどん小さな音符を用いフィギュレーションしていくものになります。その過程で、ディミニューションが即興されるものから作曲されるものへと変化してゆき、器楽のファンタジアもより複雑な音型を用いたヴィルトゥオーゾなものになってゆきます。

バロックになると、ファンタジアの即興はサンクタ・マリーアのようなポリフォニーの即興がメインではなく、通奏低音、すなわち和声の進行をベースに考えられるようになります。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの息子であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが残した『正しいクラヴィーア奏法 Versuch über die wahre Art das Clavier zu spielen』の第二巻(1762)には、最後の章(第四十一章)に「自由なファンタジー(即興)」という章がありますが、そこではファンタジアのためには「適切な和声進行を身に付けること」、そしてその上で「様々なフィギュレーションを実施してゆくこと」が述べられています。このように、18世紀に入ってもなお、器楽曲のジャンルとしてのファンタジア——それは引き続き即興演奏と深く結び付いていました——は当時の作曲家、演奏家にとっての重要なレパートリーであり続けました。しかし、そうした即興演奏に根差した楽曲ジャンルとしてのファンタジア、そして19世紀に入ってもファンタジアと呼ばれた即興演奏については、19世紀に器楽曲の中でも特別な価値付けをされたソナタや他の楽譜に書かれた=作曲されたレパートリーに比べ、なかなか日の目を見ない現状にあるように思います。18〜19世紀の鍵盤奏者たちがどのような即興演奏を日々行なっていたかについて、その一端を知るべく、このコラムではこれからカール・チェルニーの『ピアノで弾くファンタジーへの体系的手引き Systematische Anleitung zum Fantasieren auf dem Pianoforte Op.200』(n.d. [1829])を取り上げ、長い歴史を持つ即興演奏の伝統から読み解いてゆきたいと思います。


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